「蜃気楼」 理由は何であったにしても、あなたが地の涯ての独房に閉じこめられたとして、その牢獄にひとつの窓があるかないかのちがいを想像してみよう。たとえ、窓しかみえなくても、時が経つほど、ひとつの窓の存在は、隔てられた世界との結がりそのものとなっていくことだろう。仮にあした自分にそのような運命が訪れたとしたら、この際限のない映像とメディアの洪水に盲いた状態から脱して、よりオリジナルな世界との絆が回復できるかもしれないという渇望があるのも、否定できない・・・・。 ある特定な現実空間自体をピンホール・カメラという映像メディアのもっともプリミティヴな初態に変貌させる大竹敦人の作品では、幾重もの複製のネット内で、実像と写 像の距離を見失った視覚のリアリティが動機となっている。あらたな「原始絵画」ともいえるその試みは、メディアの質は変わっても、世界を画像化して認知する人間のパラドックスと壁のない監獄と化した世界というミラージュ/蜃気楼を映しだす。 鷹見明彦(美術評論家) |