個々の事物(たとえば鏡の表面 )
鷹見 明彦

「ある日わたしはこっそりと禁じられた階段(地下室への)を降り始めましたが、途中で足をすべらせて転げ落ちてしまいました。そして目をあけた時に見たのです。アレフを。」

「アレフ?」とわたしは言った。

「そうです。あらゆる角度から見られた地球上のすべての場所が、混乱することも融け合うこともなく、それぞれの形状をはっきりと保ちながら凝集している場所です。・・・・」わたしは彼にちょっと糺してみた。 「だけど、その地下室は大変暗いんじゃないですか?」

「頑迷不霊な精神には真理の光はさしこまないものです。世界中のあらゆる場所がアレフに包含されているとすれば、あらゆる星、あらゆる灯火、あらゆる光源もまたそこにあるはずでしょう。」[1]

 これは1941年のブエノスアイレスと想定された時空での会話だが、ごく最近“アレフ”の片燐らしきものを見たという噂を幾人かの知人から聞かされた。場所は、かつて織物の町として栄えたK市の工場跡[2]とその周辺一帯で、夏の終わりから秋にかけてガラス球状のものが複数目撃されたという。そもそもヘブライ文字の原音でありーにして無限を表すアレフが、いかにインフレーション宇宙論に惑乱する世紀末といってもそんなに増殖するのを不審に思い調べてみると、間もなく作者が判明した。

 調書によると、その球体は『Emulsification(乳化)』という連作で、内部に感光乳剤を塗ったガラス球をそのままピンホール・カメラ化し現場の環境を写 し込んで倒置したものだという。乳剤はネガティブなので、ガラス曲面の写像はネガになり、その半透明な球体写 真には、現実の像がダブルに反映する。 「複製を背負って存在する中で、実物の存在を探している。存在を取り巻く現在は、刻々と訪れ、同時に過ぎ去る。記憶は現在を複製し保存する。複製された現在は、ときたま顔を出すが実物に打ち消される。歪みを生じた現在は、乳化を伴い再び保存される。ガラス球に歪んで定着した風景は、現在を認識する助けになるだろうか」[3]

 作者のO君は、球体写 真に平行して鏡面ステンレス板に写像を焼き付けた大型のステンレス写真による「Dialogue(対話)」というシリーズも制作しているらしい。

 人は、カオスの闇から自我を分離させるのに鏡像を必要とした。複製化された鏡像の増殖は、分裂し乱反射するあらたなカオスの海に存在を漂わせ飲みこもうとしている。

「・・・・アレフの直径はおそらく2.3センチにすぎなかったが、そこに全宇宙が、縮小されることもなく、そっくりそのまま包含されていた。個々の事物(たとえば鏡の表面 )はそれ自体無限であった。というのは、わたしはそれを宇宙のあらゆる地点からはっきりと見ていたからである」[4]

 宇宙のあちらこちらに開いているというブラックホールのように、「アレフ」のネガが存在すると想像する誘惑に駆られる。

(美術評論家)
註:[1][4]ホルヘ・ルイス・ボルヘス『アレフ』   

  [2] 「桐生再演4」群馬県桐生市 1997  

  [3]  大竹敦人「Emulsification」に関するコメント

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